本作「美しいひと」の撮影は、2012年の早春から晩秋にかけて行われました。 映画の舞台となったのは、韓国、オランダ、日本。晩年を迎えた彼らのありのままの姿が、移りゆく美しい季節とともに、静かに描き出されます。

<映画の舞台①>〜韓国・陜川(ハプチョン)原爆被害者福祉会館〜

釜山から車で2時間ほどのところにある陜川(ハプチョン)原爆被害者福祉会館。広島、長崎で被爆した韓国人が、安定した老後を暮らすために建設された老人ホームのような施設です。日本政府と韓国政府の支援のもと、1996年に開館しました。運営は大韓赤十字社が行っています。現在入居しているのは主に、七十歳代から九十歳代。日本で生まれたり、あるいは日本で教育を受け、青春時代を過ごした人々です。

様々な苦難を乗り越えてたどり着いた平穏の時を、それぞれが、思い思いに暮らしています。「私らみんな、原爆に遭った人じゃから。日本で苦労して、ここへ来た人じゃけえ、死ぬるときまでここでみんな、いっしょにおるようになっとるからね。その心で、みんな仲良くと思います」。美しい広島ことばで語ってくれた女性たちの、穏やかな表情が余韻を残します。

<映画の舞台②>〜オランダ・捕虜として見た原爆〜

長崎の捕虜収容所で被爆した3人のオランダ人元兵士が、当時の忘れられない記憶を語ります。オランダはかつてインドネシアを植民地支配していました。しかし、1942年の日本軍のインドネシアへの侵攻で、オランダ軍は降伏。多くのオランダ人の若者が捕虜となって日本へ送られ、強制労働に従事させられました。いつ終わるともわからない過酷な収容所生活の中で、原爆は投下されます。

炎に巻かれ、助けられずに置き去りにした友、原爆投下後の長崎で見た焼け焦げた子どもたち。日本から遠く離れたオランダの地で、彼らは長い戦後を生きてきました。捕虜として受けた辛酸を乗り越え、現在の胸の内を語ります。

<映画の舞台③>〜日本・投下されたふたつの原子爆弾〜

 アメリカが日本に投下したふたつの原子爆弾は、一瞬にしてふたつの町を消失させ、そこに生きる人々の命を奪いました。龍(りゅう)智江子さんは16歳の時に長崎で被爆。家族を失い、戦後は看護助手などをしながら働きました。龍さんのひとり息子、周二さんは、原爆の後遺症と辛い記憶を抱えながら生きる母親を見守り続けてきました。自身も被爆二世としていわれのない差別に心を痛めた時期もありましたが、苦労をしながら自分を育ててくれた母親への感謝を惜しみなく語ってくれました。